心が田夫野人

仏教のイメージ

昔は外見、今は内面

今日の四字熟語ですが、でんぷやじんと読みます。

農民や庶民の事で、ひいては身なりの悪い礼儀知らずの人の事を言います。
近年は日本も豊かになって来て、身なりが悪いという人は余り見掛けませんが、その昔は農民や貧しい庶民は身なりが悪く学問も受けていなかったので教養も無かったという時代がありました。

そういう人を指して言ったのがこの言葉の始まりだったと思いますが、今はどちらかと言うと身なりみたいな外見ではなく内面、つまり心が田夫野人の人が多いのかなって思います。

見た目は全然普通なのに、心の中は荒み切っている人が最近多いような気がしますね。
そうなってしまった原因の多くは、現状の社会がイマイチ上手く回っていない事が挙げられます。

社会が上手く回らないのは、個人の心が田夫野人になっている人の割合が多いからという事になります。
貧富に関係なく、まるで伝染病のように個々の心を蝕んで行きます。
生活が物質的に豊かだから心が安定しているとは限らず、個々の心の拠り所が在るか無いかが重要なポイントとなっています。

現状の社会が上手く回っていないにしても、このままでは何も変わりませんし、同じ方法を続けても結果は見えています。

おそらく今までと違う手法を執って行かないと何も変わらないと思うんですね。
普段の生活において、もし充実感が無いなって思ったら少し現状から考え直す必要があると言えます。

自分は心が貧しいだろうか?
何故自分の心は貧しいのだろう…?
まずは自問自答から始めてみましょう。

今までやって来れたんだから、現状の方法を変えるつもりなんてないって石頭な考え方は捨てた方がいいですね。
現状の方法が上手く回っているのであれば、変える必要は無いかもしれませんが、上手く行ってないのであれば現状に固執し過ぎるのは正しい判断とは言えません。

本当に変えたいと思うなら、一矢報いるだけでも出来るはずです。

それでもいいじゃないですか。

変えようと思って立ち上がった一矢であれば、それほど尊い一矢はありません。

それが集まれば、未曾有のゲリラ豪雨のような矢になりますよ。

そうすれば、上手く回らない社会が変わるきっかけになるかもしれません。

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